プロフィール

オーディオ愛好家としての私のプロフィールをご紹介します。

オーディオ歴

オーディオを始めたのは2005年頃です。当時はALPEX社の2000円程度のイヤホンと、のちに発売されたワンセグ録画に対応した携帯電話で音楽を聞いていました。カナル型イヤホンを使うのも初めてでイヤホンの密閉感からくる豊かな低音に夢中になっていました。今となっては価格は非常に安いですが、スルメのように何度も音楽を聴く習慣ができて音楽鑑賞の喜びを感じた原点だと思います。

2007年にはeイヤホンが登場しポータブルオーディオの市場が少しずつ大きくなり始めます。eイヤホンがBA型イヤホンやポタアンなど製品や新しい知識・用語をどんどん布教していて小さくマニアックな市場でありながらも着実に盛り上がりを見せてきた頃だと思います。学業や資格の習得に励んでいたのですが、スルメのように音楽を聴く習慣が変わらず続いているなかで強く誘惑されていたこともありUEの3スタやicon mobileなどを購入してiPod Classicで勉強をしながらダイナミック型にない繊細な音を楽しんでいました。低音はやや物足りなかったのですが、高音が異質でその違いを納得して楽しんでいたと思います。この頃には3ドライバの御三家というものがありUEの10Pro, ShureのSE530, WestoneのWestone3が最高峰の機種として君臨して憧れを持ちつつも勉強していました。音楽を楽しみつつも学業や資格がとても良い状態だったので10Proをプレゼントしてもらいさらに学業に励んだ思い出があります。また、その10Proをつけてフジヤさんのヘッドホン祭(中野サンプラザ)に行き、より優れたポタアンに興味を持ちつつ受験を終えるまでひたすら勉強をしていました。その後、進学先が決まってからアルバイトを初めてAlgolythm SoloやJH Audioの13Proを購入し三段構成のポータブルオーディオにデビューしてどんどんオーディオの沼にハマっていきます。

こうした沼にハマっていくにはやはり情報の出所というものがありまして現X(Twitter)が元凶でした。どんどん新しい知識や商品を発信していくeイヤホンがブログで集客しながらTwitterで情報を流しているので、そこに人が集まりコミュニティができる流れがありました。2009年代のTwitterはよく鯖落ちして鯨が空を飛ぶし、そもそも日本語にすら対応もしていないしでマニアックな人々が集まっていたと記憶しています。ただ、私もeイヤホンやフジヤのヘッドホン祭で音響オタクに化けていたのでありがたいことにオフ会にも参加するご縁が何度もありました。その中でたまたまほぼ同年代の年下の子からオーグラインで3つ編みにしたケーブルをタダでいただいてしまい、当時は自作でしかそのような3つ編みのケーブルも手に入らなかったので非常にありがたい気持ちと申し訳なさを感じたことをよく覚えています。受験をきっかけに彼がコミュニティから抜けてしまったことが心残りではあるのですが、いただいたケーブルをきっかけに自作に興味を持ったり恩返しをしたりしたい気持ちから2011年9月からケーブルの自作などはじめました。

最初こそはただ作って楽しいというのもありましたが、市場にそこそこ良いケーブルが出回っていてスピーカーケーブルの分解をして真似して作ったり、秋葉原の海神無線などでヴィンテージワイヤーを買って作ったりなどとにかくあるものを真似したりとりあえず作ったりして過ごしていました。そうしているうちにTwitterでもたくさん作っている人として見てもらえるようになり、はんだの聴き比べをしようとしたときにたくさんホームオーディオのオフ会に招いていただきたくさんはんだを提供いただいたこともあります(その時同時に、プラチナで作った電源ケーブルの試聴会もあり7年ほど白金を買い漁っては作る沼にも落ちました)。とにかく色々な導体・プラグ・絶縁体・はんだを組み合わせて作ることをしていましたが、情熱を持ち楽しみながらその裏では自作オーディオにおける音作りの基礎体力が気づかぬうちについていたと今振り返ると感じます。その後、据え置きオーディオのノウハウなどから(1)MIL Specワイヤーに興味をもち、これをIEMケーブルに落とし込むこと、(2)前述のプラチナに加えてパラジウムを利用したケーブルを作り試聴会のような素晴らしい出音を再現することに集中しました。両方とも無事に作ることができ、小規模ながらもコミュニティに対する恩返しはできたのかと信じております。

その後、学校を卒業し社会人になってからもオーディオを続けていたのですがナルコレプシーと呼ばれる難病が発覚し仕事も趣味もできない状態になり、同時にケーブルも作れなくなってしまいました。その時に燃え尽き症候群となったのか緊張の糸が切れてしまいケーブルを作ったりオーディオを楽しんだりすることが全くできない状態となってしまい、寝食を忘れるほどに音響を楽しみ自作をする情熱を失ってしまったことに悲しさを感じつつも音響の界隈から離れていきました。

仕事をやめてから1年半は再就職に向けての休養とナルコレプシーの症状の理解に努めていました。同時に、もともと好きで勉強をしていたIT関連から実際にプログラミングを始めることにしました。VBAはもともと仕事を効率化する手段として使っていたのですがPythonやJavaScript(Google Apps Script)を学び、オーディオができなくなったことを忘れるぐらいには情熱を注ぎました。体調が回復して再就職をしましたがその決め手の1つがプログラミングであり、どのようなことでも情熱を持ち楽しむことは大事なのだと思います。

仕事に復帰してからも特に音響に対する情熱が回復することはなかったのですが、給料が入って収入が安定ししてしばらくした後から惰性的に音響機器を買ったり、自作をしたりなど年に数回のレベルでしていました。ホームオーディオの環境を作ったのもこの頃で昔ほど情熱はないけれども昔持っていた据え置きへの憧れからか少しずつ環境を揃えていました。低空飛行を続けていましたが2023年10月から謎の体の痛みで2ヶ月苦しみ同年12月に入院、10日ほどして退院しました。2024年1月に脱髄疾患という難病を新たに患ったことがわかり2024年12月にも脱髄疾患で入院することになりました。正直ナルコレプシーよりも苦しい症状ではあったのですが、幸いにも仕事をやめるまでには至らず職場の理解やサポートがあり2回の入院をしても復帰できています。

オーディオにあまり縁がない時間を少なくとも7〜8年ほど過ごしていましたが、2025年6月25日にプラチナで作ったケーブルを試聴して4.4mm版で作りたいと音響の仲間からDMをいただきこれが転機となりました。2025年8月2日にケーブルの感想やモダンなポータブルオーディオの機材を聴く中でまた音響を楽しみたい気持ちも湧いたと思います。そして「(2025年の)秋までに4.4mmのプラチナケーブルを完成させる」といった話を聞き、完成品を見届けたい思いからポータブルオーディオの機材を引っ張り出したり、据え置き環境を積極的にメンテナンスをしたりなど音響に再び熱が入り実際に行動をはじめました。かつて自身が熱中して作ったプラチナケーブルが誰かの記憶のこり、それを蘇らせたいと長年思っていたことの嬉しさが確かにありましたが、やはりいい音で音楽を聴く時間も機材を触る時間も楽しいというのが今はとても大きいです。実際に意欲を持って行動を起こせたことが大きく重要な転機でした。

ナルコレプシーと脱髄疾患は難病であり原因や治療法は不明な点も多いです。なのでこれを抱え込みながら生きていくしかありません。一度は音響の情熱を失ったのですが生きる上で楽しみが必要であり、私にとっては音響がその1つだと思います。20年以上もオーディオをしているのですが情報やハンダ、やる気、コミュニティでのつながりなどもらっているものの方が圧倒的に多い状況でまだやめるわけにはいかないようです。一度はコミュニティから離れた身でありますし、難病がさらに増えてしまったのもありますしかつてのようにうまくいかないこともあるかとは思いますが、波に飲み込まれてもほそぼそと音響や恩返しを続けていけるようにありたいと思っております。

趣味・興味

コーヒー

自宅で豆を焼いて、挽いて、ハンドドリップをするぐらいにはコーヒーが好きです。

文房具

主に万年筆やインクが好きでXでは朝活書写と呼ばれる活動をしています。

フレグランス

高級な香水やニッチフレグランスなど好んで使っており、四季にあわせての使い分けを楽しんでいます。2025年9月から自身で香りを調合して香水にしたり、キャンドルにしたりすることに挑戦しています。

プログラミング

プログラミングが趣味です。本業はプログラマーではないですが、プログラミングや生成AIを利用した自動化や危機管理・データ分析をしています。このサイトもLivedoorBlogやNote、Wordpressなどを使わずにプログラミングを用いて100%内製です。