食と芸術(とぬか漬け)

夏休みも7日目になりました。あっという間に1週間です。岸田首相の退任が決まりニュースとなっていたために「総理の一日」をスクレイピングしていただけなのにあっという間に1日が終わってしまいこの勢いで夏休みが終了してしまいそうです。このことは別に書いているので、今日は今日のことを特に書くことがありません。なので、最近のマイブームについてお話しします。

最近のマイブームはズバリ「ぬか漬け」です。今年の5月からお家で漬けるようになりました。と言うのもたまたまお店で購入したお高めのぬか漬けが尋常なく美味しくてお家で多量に食べたくなってしまったのです。とはいえ普通に野菜を買うよりも糠漬けは非常に高いですし美味しくて健康的でも経済的ではありません。ぬかもそこそこの値段がしますが自分で漬けたくなってしまいました。

みたけの発酵ぬか床を買って、ホーロー製の容器にぬか床にぬかと野菜を放り込み漬ける。やることはとても簡単です。放置しているだけで勝手に漬かるので非常に楽なのですが、いざ美味しく作るとなるとても難しいことを知りました(そもそも買ったぬかが私の好みではありませんでした)。

何が好みでなかったのかというと漬かった時の塩分の濃度や塩分の質感、酸味や香りが合いませんでした。何よりも私が魅了された糠漬けと比較してうま味が薄く、塩分は濃く匂いが強いと思っていたものとは違ったのです。みたけのぬか床は冷蔵庫に入れてもOK、ほったらかしもOKで私のような初心者に非常にやさしいのですが、高級なぬか漬けにはそれなりに美味しくするためのみたけとはまた異なる並々ならぬ努力があったのです。

ぬか漬けは素材そのもののうまみ、昆布やしいたけ・鰹節など旨み成分のうまみ、乳酸菌や酵母菌などによる発酵のうまみがあります。旨味だけでなくぬか床や生きた菌特有の甘酸っぱい香り、唐辛子やみかんの皮、山椒など風味などが複雑に絡み合い表現された食べ物です。絵画やアートとは異なり目には見えづらいのですが、このぬか漬けのシンプルな定義の中で生み出されるピンキリな風味を人間が意図性を持って作り出せるわけです。

芸術的なのは糠漬けだけではありません。カレーであれば、コリアンダー・クミン・ターメリックを基本に好みのスパイスを入れます。焦がした玉ねぎとトマトに牛乳やらリンゴジュースやら水やらヨーグルトやら好きな液体を入れます。それだけでなく好きな具材を入れます。そうするとカレーができるのですがその組み合わせが無限にあり、同じカレーでも作り手によって味の表現が変わるわけです。ラーメンでもスープ・麺・具と多様にあります、パスタにしても麺の種類やソースの種類が豊富です。

私にとっては絵画や食だけでなく香りや音楽なども同じく芸術であること変わりがないです。ですが、食は生きていくために必要なもので実用性が高いです。機能美が溢れた芸術だと私は思います。インド人が生み出したカレーは非常に複雑でなぜ生まれたのかが意味わからないのですが、糠漬けも同じくよくわからないです。まだパスタならもう少しシンプルなので分かりますし、ラーメンもちょっと変態の方が凝りに凝って仕上がった一種の文化だと思います。ですが、米の殻に水分と野菜と塩と菌を混ぜ混ぜしたものがなぜか美味しいというのはよくわからず、私にとってはカレーと同じように非常に芸術的な食べ物だと感じています。

5月にぬか床を買って野菜を頻繁につけて糠を混ぜ混ぜしてぬか床を育てるのを楽しんでいたのですが最近になって量が減ってきました。なので足しぬかをしてきなこを混ぜ、砕いた昆布と唐辛子を混ぜ、リンゴジュースやホエーを加えて水分調整して、最後に塩を加えてと、ぬか床に黒魔術をかけています。旨味成分を加えて美味しくすることは可能ですが、ぬか床には菌が生きているので彼らが住みやすい環境にしなければなりません。

カレーはスパイスの分量などレシピを守ればある程度味や風味は再現できます。ぬか床は生き物の住み家なので美味しいだけではダメですし発酵が都合よく進むような調整も必要です。リンゴジュースも入れすぎたら異常発酵もしたり、気温によっても異常発酵や腐敗も起こり得るようです。

今のところは特に異常もなくむしろみたけ感が減ってきてだんだん美味しい糠漬けに近づいてきています。 りんごの甘酸っぱさが程よく加わりきなこでみたけ感がマイルドになり、昆布によって旨味が強力になりました。手元には唐辛子・昆布・みかんの皮がたくさんあり、まだまだ旨味(黒魔術)の補給ができます。正直なところなぜ美味しくなっているのか経験ベースでないとわからないことだらけです。それでも食べ物としても芸術としても糠漬けを私は楽しみたいと考えています。