分業社会における支援と受援の循環
2026年1月20日
ここ最近お仕事で小さなことではあるのですが1つだけ引っかかることがありました。私へのお仕事へのお願いに対して、「大変申し訳ないがサポートをお願いしたい」とDMが来たことです。私への遠慮や手間をかけてしまうことへの申し訳なさなどがあると思うのですがあまり頼ることもなく片付けたかったけれどもそれができないので仕方なく頼むといった後ろ向きな意志や自分とその方の間の壁のようなものを感じました。適度な遠慮や距離感というのも悪いものではないですが必要以上に壁を高くすると手を取り合って難題に取り組むことも難しくなるので自分達にとってはややもったいない心理の壁のように感じました。その方へのお仕事のリクエストにはささっと40分で完了させて感謝と驚きの声をいただきました。同時に他の人からの助けを素直に得て活用する「受援力」について考える機会となりました。
私自身は大学卒業後に体調不良を理由に挫折や小休止を繰り返しています。ナルコレプシーなどで休職を2回経て退職勧奨による退職。そこから再起したものの新たに脱髄疾患を患い入院や休職をしています。この日記を書きつつも左手や右手の指に神経痛が走る状態でキーボードを打つのも一苦労と苦痛があります。それでも苦しいだけではなく不思議と前向きな気持ちや楽しさの方が強くなんとかなる気がしています。
普段はインドアでとくに人との交流もあるわけでもないのですが、こうした波がある中で受援力が密かに鍛えられていたようです。3回の休職では傷病手当金で経済的な支援を受けつつ休職の間の職場の状況を維持してもらうこと、失職時には体調の理解や回復に専念しながらも日々の活動の機会をいただき再就職への支援をいただいたこと、復職後もお仕事の機会や通院や症状への配慮、再度休職しても変わらず復帰を待ち続けて仕事を楽しみにしてくださる職場の方々の存在などあります。これらすべてが私を型作る大事な関係・軌跡です。
こうした困難だけではなく、人間社会というものは分業で成り立っているものです。農家の方々が野菜や肉などを供給し、漁師の方々が魚や海産物を分け与えてくれ、医師の方々が私の健康を守ってくださり、物の作り手が私の生活や趣味を支えてくれて生活を豊かにしてくれます。他にも金融や交通、商業、IT、土木、飲食、行政など挙げればキリがなくなるほどに人々の営みに助けられており、無意識のうちにも受援の機会があると思います。
また、反対に労働者・投資家としてはその受援の輪の1つの主体として人々の営みを助ける立場にあり、みんなで支援をし合うことによって助け合いの輪が成立すると思います。なので、困っているときはお互い様であり支援を求めている人がいればしっかり助けて、自身ではどうしようもできないようなことがあれば助けを求める声を早めにあげることが大事だと思います。多くの場合には助けてばかりいたり、助けられてばかりしているよりもできる範囲で支援をして自身も受援を求める方がうまく支援が回るのではないかと思います。人々には得手不得手があり分業で社会を作っています。人間が一生のうちに学べることも限られており知らないことの方が多いのが当たり前なので、協力を前提としてすでに築かれたものを再利用する方が経済的であると思います。
私自身は今までたくさん受援をしているので反対に支援もしていきたいと思っており、お仕事での支援の依頼を申し訳なさそうにされたのが少し惜しい気持ちを感じました。こうした支援の依頼はどんどん気前よく受けていきつつ、病気を抱える方のお仕事の紹介やスキルの伝授、投資を通じて企業の活動をサポートすることなど支援と受援を積極的にしていき助け合いを循環させたいです。