手放しに成長を祈る
2026年4月1日
💡 Summary
本記事では、過去のパートナーとの曖昧な関係が相手の自立の機会を奪っているのではないか、という内省に基づき「執着を手放す」精神性を考察しています。成長とは自ら主体性を持って生きていくことであり、依存を断ち切ることが相手への本来の誠実さであると定義。自身の難病や不安定な投資環境という現実的な困難はありつつも、Q1の締めくくりとして趣味や仕事に価値を見出し、前向きに種をまき続ける姿勢を示しています。
相手の成長を願う「手放す」という選択
年度末の仕事を終えました。元パートナーに相当厳しいことを言ったと思いつつ今のままでいいのかと振り返っていました。お昼はうどんを食べてしっかり喉が通るようにはなっているのですが、悪い別れでもなく双方の母もあたたかく見守っているような状況です。その中で変わらずのんびりと連絡はしていました。ただ、どうも断固とした態度で付き合いをやめたのに連絡が続き、一方で自分としては理由もいまいちわからない状態でなんとも言えない気持ちでした。
私としては、おそらく元パートナーの成長や自立の機会を奪っていると感じます。なあなあの関係を続けることもそうした自立や新しい選択肢を阻むものとなっているように感じています。別れた今となっては居心地のいい関係性や美味しいご飯、金曜日から月曜日までの洗濯や掃除の役割も終えて、金銭的にも家事労働や心身のケアももうする必要はありません。逆にそれらをすることによって元パートナーの今後の成長や新しい選択肢を奪いかねず別れもムダになってしまいますし、大切な思い出も霞んでしまうような思いがあります。よく元パートナーは作ったご飯をホルマリン漬けにしたいと言っていましたが、私は思い出をそのままホルマリン漬けにしたいような気持ちです。
本来、生活や自身の健康のケアというのも自ら主体性を持って行い、金銭や労力を消費するものです。快適な環境では自らそれらを行う必要性をなくしてしまい生活に彩りをもたらす主体性を失わせてしまいます。そうしたところは不本意ですし、そもそもその状態で一緒に暮らすことはできません。そう考えると、ずっと一緒にいたい思いがあったけれどもそれは叶わず理想の相手は自分ではなかったのだと腑に落ちるところもやはりあります。なんとか頑張りたい気持ちもありつつ、自分ができることは手放すことだと思います。
私自身も望んだわけでもなく難病を複数+αの嬉しくはないものが生活にまとわりつき、人と同じように生活するのも大変なことがあります。とくに冬は感染症のリスクも上がり、感染することで神経周りの組織が壊れて運動がつらくなったり、神経に直接的な激痛が走り続けたり正気を保つことが難しいことも起こりえます。健やかに生活を一人でも送れるように祈る一方で自身の体調も不安定なので一緒にいるにしても矛盾を抱えていて、そんな私ができることとしては今や将来のしがらみは手放し、過去の思い出を大切にして小さく生きることだと思います。
穏やかにお話ができること自体は嬉しい気持ちもありつつ、釈然としない気持ちや将来のしがらみ、成長の機会を奪ってまでなあなあの関係を続けることには引っかかるところがあり、その意味では今朝方の四象限の(4)がきっとあるべき姿なのだろうと思いました。自身でどうにかできることでもなくただ祈るだけしかできません。そもそも本人が望んでいないことかもしれませんし遠くから見守るだけでしょう。私自身としては大きな学びも得て人生にそれなりには満足したのでこれで十分なのだろうと感じています。
素直に受け入れたい事実かというとそうではないですが、これが現実です。ただ、人生は苦だけでなく楽もあり、せっかく主体性を持って人生を歩んでいるので前向きに生きたいものです。ありがたいことにお仕事もとても良好で、中東の影響で投資状況は良くないですが目標には着実に進んでいます。料理やコーヒー、香水、プログラミング、ここでの日記と地味ながら趣味も楽しいです。波もあり時には一休みも必要ですが、来年度も変わらず楽しいことにもしっかり目を向けて、人生における種まきをまだまだ続けていきます。ひとまずこれで2026年Q1はおしまいです。